平安の春(角田 文衛 著)講談社学術文庫

 講談社学術文庫は玉石混淆なのだが(まあそれはどんなシリーズにも言えることで意味はない)これでなくては、と言うものがままある。値段も、ライトノベル2から3冊分でこんなスバラシイ本が!と言うお得感も満点。当たりに当たれば意外と安いのだ。これは、以前紹介した各社の学術シリーズと共通する。と、いうか私ライトノベルの悪口言い過ぎ(汗 
 いや、ライトだろうが何だろうがいいものはいいし、悪いものは悪い。
 タレントのエッセイ本よりは、ライトノベルの方が遙かにましだ。あれだったら六法全書でも読んでたほうがまだ(以下略

 さて、「平安の春」である。
 この本は大物歴史学者による全般的に面白い歴史エッセイである。
 とくに面白いのが、藤原師輔(もろすけ、と読む。私の軟弱なATOK17では出てこなかった。みなさんいかがですか(笑))についての評釈「師輔なる人物」である。
 この人は、右大臣に留まり、摂政にも関白にもならなかったのだが、実質それと同じ権勢を誇り、臣下にして史上初の内親王との婚姻を果たした人物である。しかも、姉が亡くなると妹と通じ、しかもその妹は後に斎宮になるという大変な冒険である。さらには都合3人の内親王と通じ、3人とも早世させてしまった「皇女(ひめみこ)殺し」などと呼ばれている。
 その理由として諸典籍があげているのは、まあ本書を読んで頂ければ分るのだが、彼は相当の性豪とされているのである。他に藤原傍流より迎えた正妻がおり、通った女は数多である。当時は重婚は全く問題はなかったのだが、師輔の妻の苦悩は相当であったようだ。
 摂政太政大臣となった兄の実頼は堅物で、師輔とは相争う立場だった。しかし、最終的には師輔の血統こそが争いに打ち勝ち、藤原摂関家嫡流となった。3人の子摂政太政大臣・関白太政大臣・摂政関白太政大臣と位人臣を極めたのである。
 人格・識見・学識・政略のいずれにも優れていたからこそ、彼は摂関家嫡流についたと著者は言う。彼の「影」の部分をあえてこのエッセイでは書いたそうである。
 私の感想は、「いや、これだけやりたい放題やれば本望だろう」というものと、「下半身スキャンダルなどというものがまだあまりうるさくない時代をしてこれだけ言われてしまう彼って…」と言うものであった。

 さて、実は師輔は前座である。他にもこのエッセイ集には魅力的な人物や事象が論じられているのだが、出色は「白河法皇」である。
 いや、この人、師輔以上にやりたい放題の人生である。 
 はっきり言って、私はこのエッセイを読んで驚愕しました。これは確かに高校の歴史の教科書とかでは触れられない話だなあ・・・とため息をつきました。
 養女、待賢門院璋子を幼い頃から養育し、さらに愛人とし、関白藤原忠実の息子忠通の妻としようとしてことわられて、何と鳥羽天皇(自分の孫)の中宮にしてしまうのだ。そしてさらに、中宮璋子と関係を続けてしまい、鳥羽天皇と関係のない時に崇徳天皇が生まれてしまい、所謂「叔父子」をつくってしまったのである。
 これだけでも「うわ…」なのだが、平忠盛に懐妊した自分の側室をめとらせて生まれたのが平清盛であるというのは驚いてしまった。だからこそ、彼が色々な条件の下で太政大臣まで成り得たのだというのが妙に納得できた。彼は飛び抜けた貴種だったのだ。しかも、忠盛自身が法皇の寵童(つまり男色の相手ですね)だったというのだからさらに驚きである。

 白河法皇の事跡は色々と特徴があり、下半身スキャンダルじみた話ばかりでは当然ない。彼は、天皇家最強の専制君主であり、院政の開始者であり、律令制度の解体者であり、平安時代を終わりに導いた存在なのだ。
 彼は篤信者でありながら色に乱れ、激情家にして偏愛者であり、政治の乱れを絵に描いたように演じながら、政治の中心を離さない大政治家でもあり、私欲と公の間を往復する極めて複雑な人物なのである。
 特に評判の悪い事跡は「成功(じょうごう)」であり、官職を売り買いをし、国衙領を事実上荘園化してしまい多大な収入をえて膨大な建築事業を為しながら、律令制度を解体していったことなのだが、積極経済、であるとも言える。しかし、根元はむき出しの私欲であることがかいま見える。

 君主とはあまりに巨大な存在である時、自己自身を統一された人格として統合することに著しい困難がある、それを絵に描いて見せてくれるのが白河法皇である。彼も、非常に繊細な歌人であると同時に、文化のパトロンであった。

 彼の想像力は巨大であったのだが、地方で成功のために収奪される民衆にはその視線は及ばず、彼がコントロールし得たかにみえた武士団は、新しい権力の担い手としてもうそこまで姿を現し、武家政権の始まりは彼の息子が成し遂げたというのも何とも言えぬ物を感じる。

平安の春 (講談社学術文庫)

平安の春 (講談社学術文庫)