はじめまして

 これで、僕おそらく僕が死ぬまでずっと用いることになる「はじめまして」となる。
 このブログが遅々としていても、僕が44歳を超すまで存続するとは思ってはいなかった。
 2015年が何の年か、改めて書くのは気恥ずかしいが、僕は少なくとも、2015年のリアルな自分には何も意識が向いてはいなかった。
 生きていることをさほど信じてもいなかったし、生きているのかもしれないが、このブログをこうやって更新する境遇にあることにも何も想像力は働いてはいなかった。
 あと何年生きるかも分からないし、僕は多くのものを失った。
 多くのものを得たのだろうが、得たことのありがたさを理解するには至っていないのが事実だろう。
 このブログはやめないし、死んでもシステム側がもうけすよ、と言って消してしまわない限り、積極的に消すことをしようとも思っていない。

 何かをぽつぽつ書くと思います。
 

昔のはじめまして(今は古い情報になっています)

 「綾金庫裏耶」(あやがねくりや)、申します。
 書評を中心のblogです。本・読書についての雑談もたまに書きます。
 これからもよろしくお願い申し上げます。

twitterはayaganekuriyaでやってます。

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 https://www.facebook.com/gjhashimoto/

以下は過去の記録になり、現行の状況を反映していません。

重要:小林さんの命を守るネットユーザーの会にご協力ください。
 署名TVにて『難病を抱える小林卓之さんの処遇改善と刑の執行停止を求める署名』開始しました。皆様のご協力を心よりお願い申し上げます。
(@wata909さん謹製)

http://www.shomei.tv/project-1655.html

会のwebサイトが仮公開中です!
暫時正式公開になります。皆さんのご意見をお寄せください。
(@tweety_anさん謹製)
http://sky.geocities.jp/sien_kobayashisan/ 

小林さんの命を守るN.U.の会(ミクシィーコミュニティー
http://mixi.jp/view_community.pl?id=5365578

お久しぶりです

 読書について、今後は「東京裁判研究」を少しづつしてゆく予定ですので、その内容を載せてゆきます。
 以下は投稿済みのFacebookの記事を補正して転載。

 僕の20歳のころからの政治的屈託や悩みをある程度解決するために何が必要かずっと考えてきたが、本格的な東京裁判研究にあたらざるをえないという中間的な結論に達した。付帯してニュルンベルク裁判についてもある適度深く学ばねばならない。
 これまた付帯して、旧軍高級軍人の思想・現状認識についてある程度体系的に抑える必要もある。
 何で自分がそういうことを知りたいのか、30台後半まで実はあまり気が付かなかった。知らないまま、旧軍軍人の伝記や思想について当人らの言葉が書いてあるものを目につくと読んでみた。今村均武藤章、米内光政、そういう連中が物量的には絶対に勝つ見込みのない戦にどのように臨んだのか、それは興味深い過程だった。
 しかし、そのためには基本言語として東京裁判資料を検討するために英語も必要だし、付帯してドイツ語もある程度必要だ。どえらい労苦と作業だ。
そもそも、東京裁判公判録自体が日本語はおろか英語でも全文の公刊はない。全部読もうと思うと、米国の国立公文書館か何かまでアクセスせねばならない。日本の国立国会図書館にも部分的な謄写はある程度体系的にはあるようだ。関西大学の図書館にも弁護側資料を中心に相当あるようだ。
 まずは判決文から検討するしかないのだが、まあ、これは始めるか。できれば起訴状も欲しいなあ。木戸日記とか原田日記とかもよまなきゃならないんだよなあ。
既存の目にする、耳にする限り、僕として落ち着きどころにはならないのだ。
自分の極めて不完全な意見としては、レーリンク判事の意見に惹かれるのだが、無制限に受け入れる訳にはいかない点も違和感として存在している。パール判事の意見には、はっきりと政治的リアリズムの忘却を感じる。だがこれも感覚的なものだ。
 では、判決そのものには?訴訟過程については?
 この問題について、是とするにしても否とするにしても、自分である程度しっかりと考え、確定情報を踏まえた判断になっていないことを痛感したのだ。
東京裁判極東国際軍事裁判)はサンフランシスコ平和条約第11条において日本政府はニュアンスの違いがあれ、その一切を受け入れている。つまり、判決の法的是非については、その瑕疵の一切は存否に関わらず国家主権の名の下に受け入れで確定している。結果の当不等については論ずる余地は実はない。この余地を認めれば全くの歴史修正主義になると思う。
 では、裁判の過程についての政治的、法的評価については?
 これこそ、対米従属を宿命化し、無謀な戦争に日本国民ほぼ全体が結果として突入した、これを「巻き込まれた」とか「一部の人間が先導して国民は騙された」というのは、これは情緒的にすぎるし、現実離れしているのだが、結果として「そうなった」過程の「神秘」は東京裁判の内容に現れている可能性が高い。
繰り返しになるが二次資料や意見の群れからは、この問題の僕の内的結論は出ない。なにかいい体系的な研究に複数当たれば解決する気もするのだが、僕は無知なので、それにはたどり着いていない。日本語の情報の中にもそういうものがいくばくかあるはずだ。それを探しだしてゆかねばならないし、その中で文献情報にも辿り着くだろう。
こういう東京裁判への疑問自体を歴史修正主義と呼ぶのは僕は完全な誤りだと思う。
 
 

これならわかる 日本の領土紛争

 

これならわかる日本の領土紛争―国際法と現実政治から学ぶ

これならわかる日本の領土紛争―国際法と現実政治から学ぶ

 松竹伸幸氏はかつて日本共産党の国会議員候補を務めた人物です。超左翼おじさんの挑戦、という少しユーモラスな名前のブログを主催している。思想の違いを超えて、面白い内容なので、ご一読をおすすめします。
 かつては議員秘書をされていたはずですが、今は日本平和学会の理事さんで、出版社の所長さんをされているそうです。

ブログ 超左翼おじさんの挑戦 
http://chousayoku.blog100.fc2.com/

 さて、日本共産党、と書くと、何やら色がつきますが、政治思想というものは、隠すと隠さざるとにかかわらず必ず色がありますので、そこはあまり気にしないで読むもよし、気にして読むもよしだと思います。
 著者は、外交・軍事政策の立案にあたってはかなり柔軟で、自衛隊問題で党内議論を起こしたこともあります。

 この本を私が購入した理由は、冷静でリベラルな領土論を初歩から踏まえたいという動機と、松竹氏の旺盛な著述活動にそれなりの興味があったからです。
 楽天ブックスで購入しました。便利ですね。こういうあまり並んでなさそうな本も家にいながらぱっと手に入ります。

 内容ですが、竹島東シナ海ガス田、尖閣諸島北方領土といった、日本の領土紛争を「国際法と現実政治から学ぶ」形式です。
 初心者用の本なので、読書人なら2時間はかからない分量です。もっと早く読めてしまうと思います。

 ネタバレとかはない性質の本ですから、著者の出している見解を要約すると、

 竹島:結論を出すには一番の難題だが、日本にやや有利。
 東シナ海ガス田:国際法上日本は不利。だが、中国は一般のイメージと異なり日本有利な合意を進めた。
 尖閣諸島国際法上は問題なく日本領。問題は中国の国際政治上の迷いが透けて視える部分。
 北方領土国際法上はサンフランシスコ平和条約での千島放棄が焦点になるが、カイロ宣言の領土不拡大原則を破っている旧ソ連の瑕疵も大きい。ただし実効支配60年は重い。

 といった感じです。

 竹島の部分だけでも、勉強になります。先占原則が国際法として機能し始めたのは帝国主義時代の事情で、現在はそうは行かないこと、韓国の植民地被支配の歴史をどう評価するかが焦点となると同時に、サンフランシスコ条約上、竹島が放棄されていないのに韓国が軍事支配をしたのはどうしても正当化できないなどが語られています。

 著者は、領土問題を実益から考え、ナショナリズム的な原則論といったん切り離すことを主張しています。理由は簡単で、それでは軍事的な衝突を含む国際紛争に最終的には至るからです。
 原則を双方が取り下げず、いかに双方が利をとれる解を得るかが領土紛争解決の肝だというわけです。これはたしかに明快で、見るべき見解でしょう。
 実際は双方の政府は国民からナショナリズム的突き上げを受けるわけですし、そうはうまくはいくまいという面もありますが。
 竹島の問題も、日本側は、あくまで漁業権問題を焦点に置くべきであるというのはなるほどと思いました。

 東シナ海ガス田問題の中国の譲歩は、結局相益がポイントで、中国の発展と国際的地位確立を急ぐ現実にも、軍拡と同時に見るべきで、前者を伸ばしてゆくことが日本外交の肝だというのはなるほど見るべき見解だと思います。
 たしかに中国をアメリカ的な新超大国にさせないことは重要です。抑えこむということではなく(そんなことは軍事的には難しい)、国際社会の現実がもうそれを求めていない点に着目すべきであるわけです。

 北方領土解決の困難性は、冷戦時の問題継続がアメリカからも望まれていた点、ロシアが、経済的実力をつけ、日本との相益の動機が薄れている点が問題の難しさを際立たせている点は、原則的ですが再確認できました。

 領土対立国=敵、左翼=売国とか右翼=排外みたいな単純な決め付けではない読み方をしたほうがいい本だと思います。相手の国にも人がいて、経済があり、という当たり前の点が大切なわけです。

 あとがきに、この本のかかれた動機の一端が透ける文がありました。著者が尊敬している高名な国際法学者と学習会で歓談した時の言葉だそうです。

 「アメリカが戦争をしかけたとして、私には、それが違法な侵略だと証明することも、あるいは合法であっても侵略ではないと証明することも、両方が可能です。それが国際法というものの現実です。」

 違う民族、違う言語の諸国民がひとつの国際社会と隣接する領土・領海・領空を接する難しさが集約されていて、スローガンだけでは解決できない事がよく分かる言だと思います。

 昔みたいに、夷狄は膺懲だとは行かないんですから。

 

 

 

同時併読

 お久しぶりです。
 
 昔は、同時併読が苦手で、一冊の本を一気に読みきらないと気持ち悪く、また、一冊の本も時間をかけて精読するのは極めて苦手でした。要するに、根気がないのでしょう。それは今も変わりませんが。
 
 このごろは、また本を読もうかなと思い、枕元に友人がブログなどで紹介してくれたり、新聞広告や新聞書評で気に入った本を枕元に届いた順番に集め、ぼつぼつ読むようになりました。後は、待ち時間などに読みかけのをかばんに一冊入れておいて、1ヶ月くらいかけて読んだのもありました。

 そういう読み方が苦痛なくできるようになったのは、それはそれで悪くない感じですが、直向きに知を愛する気持ちが減ったということなのかも知れません。そういう主観的な思い入れが減った事自体も、いいことだとは思いますが、寂しい気もします。
 

著作権と古本屋

 ブックオフ亡国論的な発言をする著述家をよく見かける。
 『みんなブックオフで本を買ってると、新本が出なくなるよー』的なことを言う。

 さて、ここからは、虚心坦懐、本音を言わせてもらう。

 文化乞食め。アホか。

 新本だった本が古本だ。そもそも新本出なきゃ、古本がでないじゃないか。
 古本の売り上げが邪魔になるというなら、古本読むので間に合う程度の新本しか出してないから、売れないだけじゃねえのか、と言いたい。読み手舐めてるのか。

 新本が買われた時点で、著者と出版社には、買い手は十分対価は払っている。転売はまったく自由だ。この転売を妨害する立法をしてでも、収益を古本売買から得たいというのが、出版社と一部の著述家の発想だ。
 どこまで読み手を舐めているのか。
 それは新しい課税だ。読み手に負荷をかければかけるほど、表現は重苦しいものになる、アクセスしにくくなるという事がわからないのか。だとしたら、何を考えて本なんか書いてるのだ。金と自分の立場しか考えてないのか。

 経済構造の変化に合わせて、出版著述業のあり方も変わるに決まっている。町場の古本屋はつぶれ、ブックオフが伸したのは苦々しい。小さな書店がつぶれ、公害型の大規模書店やネット売買がはびこった。
 著述家もこの洗礼を受けて当たり前だ。自分を貴族だとでも思っているのか。貴族だと思ってると、アンシァンレジームとともに、滅びるぞ。適応のためには読み手を収奪してでも生き残ろうと言うのなら甘い。
 膨大な出版数、構造不況、狭い住宅事情、これ以上零細な読み手を絞りたい著述業者は、出版資本の走狗に過ぎない、ものの分かっていない人間だ。
 自分に印税が入らないなら、読んでもらわなくてもいいと言い放ってみるがいい。冷笑が帰って来るよ。それでも金を払ってでも読みたいと言う強者は生き残るだろうし、中間的な形態はネット出版その他いろいろな模索をするだろう。弱者は別の仕事をすればいい。こうやってブログでも書いて、再起すればいい。物書きだけが、仕事じゃねーよ。

 さて、この問題を論じるためには、もう少し理論武装しようかな。
 こんな本でも読んでみるか。
 高いけど、俺、たぶんこれは新本で買うよ。
 買う本はどんなに貧乏でも新本で買うんだ。人から命令されなくても。古本に負けてる新本書いてる時点で反省しろです。
 ブックオフには、売らない。買うけど、うらないことにしてるんだ。原則。

 

武富士の闇を暴く

[rakuten:book:11149679:detail]

 扉絵があったので楽天で紹介してみた。
 
 この本を紹介したのは、2010年9月28日に大手消費者金融武富士会社更生法を申請し、事実上の倒産をしたことに些か感じ入るものがあり、メモ的に書いておこうと思ったからである。目次を引用しておく。

 第1章 「お客様第一主義」の嘘八百 過剰融資と違法取立て
 第2章 異常な労働で社員も泣いている
 第3章 武富士の素顔に迫る
 第4章 武富士との闘い方
 資料 武富士に関する裁判例
 付録 武富士用語集

 この本は、武富士の異常で反社会的な経営の内実を暴いた記念碑的な著作である。まさに、この本で武富士の闇は暴かれた。その闇は、武富士の総帥、武井保雄が社内オンラインを通じて、如何に異常な売上至上主義を社員に強制し、法すら踏み破るに躊躇させない恫喝をしたかが余す所なく記されている。
 債務者の親で保証人になっていない第三者に弁済を承諾させる違法な手口や、資料も相当に充実しており、消費者金融に対する過払い訴訟を大きく広げてゆくひとつのきっかけとなる本でもあった。

 借りた側は弱い。単なる取引の当事者と自分を思えず、恩につく。そこを狙うのが消費者金融であり、利息制限法上の利率を超える高金利での契約であった。運動は最終的に、利息制限法の利率と刑事罰を伴う利率と一致せしめ、勝利を収めた。

 違法な暴利は許さないという運動は、思い込みではなく、道理を持った追求で、違法な収奪は跳ね返すことができるという、大きな成果を得た。
 資金流動性を言い訳に、高金利を当然とする論調があるが、この本を踏まえれば、金利に制限がない世界とは、どう言う世界なのかがよくわかる。それは、如何にごまかしても、むき出しの収奪なのだ。
 
 武富士は、あえていてば、この事態を受けて、歴史と化すべきである。すなわち、歴史の汚物処理場へ、この闇は消えてゆくべきなのだ。更正などせず、破産して消え去る世に存在する価値のない犯罪会社、それが武富士である。