(随想)何故私は読書日記を付けているのだろう?

 お久しぶりに随想を書きます。

 読書日記を何故私は付けはじめたのだろう?
 付けはじめたときは、あまりその理由が自分では分かっていなかった。何となくが事実である。
 だが、事実の裏には常に事実があり、不意に駒田信二氏の「論語 聖人の虚像と実像」(岩波同時代ライブラリー)を読んでいたときに思い出した。

 それは恩師の忠告によるものだった。

 私の恩師、坂元忠芳先生は東京都立大学の名誉教授で教育学者である。

 先生には専攻が違うにもかかわらずゼミに押しかけ、多大な迷惑をかけ、その上生意気な口も大分利き、教育学専攻の方々にも同時に多大な迷惑をかけ、その当時のことを思い出すと穴があったら入りたいものである。

 さて、私は先生に趣味は読書であり、教養主義者であり、生活人であるよりは確固とした趣味人として生を全うしたい(!)旨を告げ、それを誇りにさえしていた。はっきり言って馬鹿である。もう少し穏当な言葉で言ったつもりだが、要するに「知的ニート願望」である。

 すると、先生は、それではいけない、とはっきり仰い、せっかくたくさん本を読むなら、読書ノート位は付けなさい、若いときの私はそれをしておけばより多くの心の糧を得、学問上の発見をすることもできた思いがある、旨を仰られた。

 私は、面倒くさがり屋で、教養を蕩尽することにゆがんだ美学を感じていたので(デカダンスと言うやつですよ、ああ、恥ずかしい)極めてまとも且つ有益な意見に恐怖した。その当時の今よりも相当に愚かな私ですら真っ当に感じたが故に「怖い」意見だったのだ。

 時は移り、ブログなどが気楽に作れる時代になった。私はいくつかの職業を転々とし、病も得、おもしろくないこともおもしろいことも様々体験しながら身過ぎ世過ぎしてきた。
 その間に母校の東京都立大学はなんと「滅亡」してしまった。

 時を経て、私は、もう教養や知識や文筆が自分にとって、生きる上で「真剣」なものではなくなっていることに気がついた。生きていく上であると楽しくも危険なものではあり続けたが。

 病を得たあとの一肉体労働者になった自分には、読書日記が「怖い」ものではなくなった。めんどくさいなら書かなければいいのだ。書きたいことだけ書けばいいのだから。

 私は、この日記のベースに「ほわっ」とした感じの暖色のデザインが優しいはてなブログを選んだ。操作も楽だった。amazonとかが簡単に引用できるのもよかった。

 つまり、私は恩師の学問と人生上の真剣な忠告を、自らが失業、病、人間関係と、痛い目にさんざんあった後にようやく思い出し、ようやく身に至ったのだ。自分の知的営為は単に蕩尽するものではありませんよ、と。

 私は中年になって、恩師の言葉がある意味、身に至った。
 だが、まだ到底、至り足りていない。もっと厳しいこともいろいろ言われたのだ。先生のお言葉は優しかったが。

 私にとって、このブログは青春時代の微かな償いのようなものである。
 でも、蕩尽するだけの読書もやっぱり楽しいんですよ。ほら、やっぱり懲りていない(笑



 先生のご著書です。浅学な私にははっきり言って難解でしたが、三読し、感動しました。もちろん、先生が学生たちに熱意を込めて伝えようとしていた端々の言葉が理解に暗い私の心を感情で動かすからでしょうけれども。
 サイン本は私の宝です。行き詰まりを感じると、時々手が伸びます。

情動と感情の教育学

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