荘子 内篇

 入院中です。もっと本が読めるかと思いきや、ネットで時間がつぶれており、これは結局、頭の衰え、疲れなのだな、と思いました。思考や思弁よりも、情報を軽く流したい気持ちが自分の中にあるのでしょう。

 とまれ、そんな入院生活の中、ぽつぽつと寝る前に読んで読み終わった1冊がこれ、「荘子 内篇 森三樹三郎訳注 中公文庫」です。古書店で手に入れた覚えあり。カバーもだいぶ汚れています。入手のシチュエーションは忘れました。

 今まで、荘子を読んだことはなかったのです。だいぶ前から部屋にあったので、ぽつぽつ読もうと思っていても、何故か進みませんでした。でも、今回は、進みました。途中から気持ちが入りさえしました。

 荘子は、無為自然にとどまらず、「万物斉同」すなわち絶対無差別を唱え、あらゆる作為を嫌います。嫌うことすらも作為ですから、嫌うと言うより「事実でない」と認識していると言ってもいいでしょう。生と死は一体なのに、生だけを偏愛すること、美を立て醜を貶めること、価値観を打ち立て、差別を設ける事自体を病ととらえます。

 現実に差はあるのに、差に意味を求めない生き方。
 明らかに無理な見方であるのに、大局的には超合理的。

 荘子に同意はとてもできません。
 人間は細かい差にこだわる無明な生き物です。

 しかし、斉物論編27節のあのあまりに有名な「胡蝶の夢」はあまりに美しい散文詩です。何が本質で何が反映だ、だとか馬鹿げた解釈に思い掠めるも汚らわしいです。
 私は、荘周(荘子)のごとく、夢で胡蝶でありたいし、胡蝶の夢でありたい。そう自然に思えます。

 それが根本的に無理であると思い知らされながらも。

 思想書と言うよりも、散文詩集を読む感覚でした。

 

荘子 内篇 (中公文庫)

荘子 内篇 (中公文庫)

※岩波他、読みやすい訳はいろいろあるようです。中公は古い方ですね。