アウシュヴィッツ収容所

 講談社学術文庫
 
 著者はルドルフ・ヘス。と、いっても副総統のヘス(HESS)ではなく、別人。(HOESSとつづる。オーウムラウトの出し方が分らないのでoeとしておきます。)

 著者はアウシュヴィッツ収容所の所長を務めたSS隊長団(将校)の一員です。まさに虐殺の当事者です。
 
 この本は気持ち悪い本です。所謂、「読んで糧になる良書」ではないです。何か批判を加えたりして得られることもまた乏しい感もあります。反面教師ですらあり得ないきもします。
 残酷描写があって気持ち悪い、民族差別表現があって気持ち悪いと言うのも当たらない感じがします。今の世の中、もっと残酷で、もっと差別的な表現や言辞が幾らでもまかり通っていますし。「表現」としては別に「穏当」な範疇です。
 
 しかし、この本の読後感は悪く、内容も要所要所で「圧倒的に気持ち悪い」のです。

 理由は幾らもあろうかと思うのですが、この本の「作者」ルドルフ・ヘスという男の責任転嫁というか、自分の行為に対する醒めッぷりとこの期に及んでの自分の命への拘りっぷりが実に気持ち悪いのです。
 この本の原稿は戦後ヘスがつかまって裁判を待つ間に書かれているのですが、自分の軍歴や逮捕・懲役経験、親衛隊での体験などを混ぜ合わせて「客観的に」状況を把握して、表現して行くのです。自分の行う行為に自分が痛みを感じていることも「当然」描写されますがなにやら薄っぺらです。ヘスはガスでユダヤ人を処刑する有様を必ず観察していたそうですが「誰も自分の仕事をかわりたがったものは居ない」などと言いながらなにやら自慢げですらあります。
 SS隊長のヒムラーは「誰にもできないことを成し遂げることこそ勇気だ」と民族と国家に尽くすことを鼓舞しているのですから、ヘスも「誰にもできないような」虐殺の管理者に戦後も心底で誇りを感じている名残があります。そう言う名残が見え見えなのに「自分が痛みを感じている」と語る偽善には行為の絶対量のすさまじさと相まって凄みがあります。
 
 ヘスは家族と自分のために違う道を選ぶべきだった、といいますが、これは読んでみてびっくりしたのですが、同情したり、悪いことをしたと言ってみたりするのですが、自分が「した」ことを「悪い」とは言わないのです。民族に尽くしたひとりの軍人であり、命令と義務を全うしただけとし、ヒムラーに責任転嫁するのです。
 
 「世界がそう要求するから」

 自分に待ち受ける運命をかれはそう表現します。

 私はこの言葉に身震いしました。

 自分が為したことの結果を解釈するのにこんなに便利な言葉はないだろうと思いました。と、同時に、自分を「無力」と決めて「責任」の外へ出ようとする人間は自分の行為の帰結を常にこう解釈するのではと感じました。投げやりな時、もう失うものがないと全てを投げ出した時、肯んぜない圧倒的な力に無理矢理従った時、「世界がそう要求するから」と行為し、行為させられるのではないでしょうか。

 「その男もまた心を持つ一人の人間だったこと、彼もまた、悪人ではなかったことを。」

 ヘスは自分をそう覚えておいてくれと訴えます。
 チクロンBが効いてくるのを窓越しに眺める「義務」を果たしていた自分はサディストや悪人ではないのだと。

 虫がいいです。でも、その虫の良さは彼だけのものでしょうか。「世界がそう要求するから」行為する人間は誰でも彼のような思考を「共有」している、私はそう感じました。

 彼は戦後、裁判にかけられ、アウシュヴィッツ収容所にて、処刑されました。
 「世界がそう要求したから」ですが、彼の遺言通り、妻と子供への言葉は公開されませんでした。今回の出版でもそれは守られています。

 彼は、「何故世界が自分にそれを要求したか」をもっと考えるべきなのでしょう。それを考えなければ行為と自分の因果関係を見失うのです。

 この本は読むべき良書ではあり得ませんでしたが、私の心を負の意味で動かした量が大きかったので敢えて感想を書きました。この本の印税は訳者に行くのであって処刑されたヘス氏やその遺族に行くのでないこともまた救いだと感じました。
 
 

アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫)

アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫)