沢木興道聞き書き―ある禅者の生涯

 禅者沢木興道師の子供時代から駒澤大学の先生になるまでの、エピソードの聞き書きを酒井得元師がまとめたもの。
 講談社学術文庫
 学術と言うよりは、宗教書である。

 内容は堅苦しくなく実に面白い。
 面白くていて、それでいて宗教書である。
 禅者は自力解脱を旨としているので、ややもすれば仏教を宣布するに薄い嫌いがあるのだが、飄々としてかつ教化に厚い面白い本である。

 沢木師が僧になろうとした理由の一つが実に滑稽と悲惨を兼ね備えたエピソードである。
 親を失い一家離散した沢木師を拾った提灯張りとは名ばかりの極道の親元で一生懸命働きながら暮らしていると、ある時「大事件」が起きる。
 女郎屋の2階でさる50がらみの旦那が17歳くらいの女郎を相手に腹上死を遂げるのである。
 警官は来るは人だかりができるはの大騒ぎ。子供の沢木師は、するりするりと二階へ上がり、様子を見ると袋をかぶせられた旦那を詰まらなそうな顔をしてまだ子供の女郎娘が見ている。家族がその横で旦那に取りすがってわんわんないている。
 これを見て沢木師は「うそはつけない」と覚る。
 旦那も家族に「今日は女郎買いにゆくから」と正直に応えてでたわけじゃない。これからの葬式でも何回忌が来ても、この旦那は「娘ほどの女郎買いであげくに腹上死」と言われ続ける。
 したことが、必ず追いかけてくるのが人生なのだ、ウソはつけないのだ、と子供の沢木師は思ったのだそうだ。

 実話にしては出来過ぎているが、これは実話なのだろう。
 沢木師は諸々の苦しみや導きの後、永平寺を目指して出家する。
 自分にウソをつかない人間として生きることが目標で、「金と女房と寺は大嫌いで生涯持たない」のが口癖。老いた沢木師を見てある僧が「とうとう成功なさいましたね」と言ったそうだ。
 沢木師は結局金が入ればあげるか布施に使うか、女房は持たず、寺は持たなかったのだから成功だそうだ。このある僧は沢木師から修業時代「寺持ちで女房なんか持ったら寺を焼いてやる!」と攻められもの凄く恐ろしい思いをしたとのこと。沢木師の「成功」は僧としては「恐ろしく」かつ「まぶしい」ものであったのだろう。

 沢木師も人間だから若い頃は悶々としたこともあったそうだが、僧にはなりたくてなったのであり、「なりたいものを成し遂げるためにある程度の欲を我慢するのは当たり前」が沢木師の言葉。
 耳にいたい。
 

沢木興道聞き書き (講談社学術文庫)

沢木興道聞き書き (講談社学術文庫)