ローマ帝国愚帝列伝

 講談社選書メチエです。このシリーズは入門書っぽい雰囲気でありながら、なかなかうならせる作品もあり、侮れません。
 著者は文部省教科書調査官と言う固い仕事のかた。

 内容は著者(あとがき)によれば「読者を最後まで飽きさせない面白い本を」と編集者から要求されたとのことですが、私の感想としてもただ単に愚帝連中のとっぴかつ業の深い行動が面白いというだけでなく面白くかつ興味深い内容でした。

 著者はベン・ハーなどの映画を見るときもローマ史の知識が少しあるとなおさら面白く楽しめる、みたいないわば歴史学者がするにしてはずいぶん「サービストーク」をしている感じです。「ローマ史は面白いに決まっている。それは自明だ!」みたいな傲慢さはない。しかし、私は著者が主張してもいいくらい、「ローマ史というのはものすごく面白いのではないのだろうか?」と思わせる内容でした。

 構成として、前半と後半に著者の問題意識「とんでもない愚帝の悪政にローマの政治はなぜ混乱を起こさなかったのか」という問題設定の解明とローマ史の著者なりの基礎知識の提示があります。私はローマ史の専門家どころかアマチュアとしても知識は足りないと思いますのでなんともいえませんが、過去に読んだ「ローマ五賢帝(南川高志 著)」「ローマはなぜ滅んだか(弓削達 著)」と比べても不整合を感じなかったのでおそらく標準的な内容なのでしょう。

 著者の提示した問題の結論は「小さな政府」だから地方には愚帝のおろかな政策や行動の影響がまったく及ばなかったからローマ帝国の存続のありようには何の影響も及ばなかったと言うものでした。
 なるほど、とひざを打つのですが、あれ、とも思うのです。では「賢帝」が賢き政治を行ったとしても、地方に影響が及ぶ可能性の契機に乏しいと言うことになりはしないか?と言う疑問も湧きます。しかし、本書にはその答えはありません。上記南川氏の著書のほうがその問題には詳しい感があります。

 さて、本書ではカリグラ帝・エラガバルス帝・ネロ帝・コンモドゥス帝・ドミティアヌス帝・カラカラ帝と6人の愚帝が挙げられていますがいずれも有名どころで、中でもカリグラはカミュの「カリギュラ」、エラガバルスアルトーの「ヘリオガバルスまたは戴冠せるアナーキスト」などの文学になっていますね。ネロ帝もカラカラ帝も著名な皇帝といえるでしょう。後の二人はややマイナーですね。ただ、本書を読めば「なぜ選ばれたのか」の重要性はよくわかります。愚帝ぶりの激しさもなかなかなのですが、その質がまたなんともいえず味わい深いのです。

 愚帝の愚帝たるありさまの激しさは本書をぜひ立ち読みでもよいので読んでみていただけたらと思います。赤面したり、目をそむけたり、のけぞったりする内容であります。個人的ランクとしてはエラガバルス帝が反倫理性トップ、殺戮の激しさはカリグラ帝トップ、総合点ではネロ帝とカリグラ帝が同着くらいの激しさです。ただドミティアヌス帝にはなかなか特有の持ち味があります。コンモドゥス帝はお茶目ですがこんな支配者は顰蹙者でありことにはかわりありません。彼が本質的には一番「愚帝」であると言えるかもしれません。

 ただ、いずれの愚帝も共通しているのは拡張財政型でポピュリストなところです。反倫理性については言わずもがなですが、政策決定にあたって抑制が効いているうちは合理的に統治して、崩れるとだめになるパターンです。ドミティアヌス帝のように統治に影響力をしっかりと保持したまま暗殺された例もありますが彼は政治的には感情的でない冷静的な判断も行っておりそれなりに老獪であったようです。ネロ帝のように抑制を失ったばかりに「有能な政治家」から「芸人」に「転落」した例が象徴的です。
 政治には「我慢」が大切だと言うことが学べます(笑)。
 逆に、ポピュリズムや拡張財政と言うのは「安易」な政策であると言うことも見逃せません。安易な人気取りにはまた安易な喜びがあるのです。しかし「人を喜ばせようともしない」政治が実にむごい政治であるのも事実です。政治の役割の放棄ともいえます。難しいバランスです。

 愚帝の振る舞いで一番激しいのはエラガバルス帝です。少年皇帝だけあってやることがもうとにかく後先を考えてません。抑制が外れたと言うより、最初からないといったほうが適切です。彼はバイセクシュアルで、異教信奉者で、ローマ人を満遍なく顰蹙させるために皇帝になった感じです。

 この本は「楽しみのための」本かもしれませんが、実は「統治のありかた」を考えるための本かもしれません。ただ、著者は強大な権力を握った人間がその権力の大きさゆえに心を歪ませる仕組みが皇帝制にはあると言っています。権力と接するのは自制が必要なのだと言うあたりまえの事実に愚帝のありようを見て考え直すべきだと著者は語っています。

 「心に潜む魔」を開放して力を使えば力にとらわれる。それは確かに、人間であれば大なり小なり同じことなのも事実と感じ、ある種の戦慄を感じました。

 「今、私は自分の心をいかなる用に供しているか。・・・自分を吟味するがよい。・・・私の内なる部分に・・・実際に今、何があるのか。・・・まさか子供の心では?青二才の心では?弱い女の心では?暴君の心では?家畜の心では?そしてまさか野獣の心ではあるまいな、と。(マルクス・アウレリウス「自省録」5巻11節より。)」

 自省は大切です。でも私はあんまりできている自信がありません。皆さんはどうですか。

ローマ帝国愚帝列伝 (講談社選書メチエ)

ローマ帝国愚帝列伝 (講談社選書メチエ)

 
以下引用した本 
 
ローマはなぜ滅んだか (講談社現代新書)

ローマはなぜ滅んだか (講談社現代新書)

ローマ五賢帝 (講談社現代新書)

ローマ五賢帝 (講談社現代新書)

マルクス・アウレリウス「自省録」 (講談社学術文庫)

マルクス・アウレリウス「自省録」 (講談社学術文庫)