少年裁判官ノオト

 地元の図書館に買って貰って読んだ。この本は無理すれば自分でも買えそうだったし、手元にも置きたい感じがしたのだが、あえて図書館に頼んだ。人にも読んで欲しい感じがしたのだ。

 この本の著者、井垣康弘氏は、神戸家裁を約1年前に退官した裁判官である。
 彼はあの忌まわしい神戸で起きた事件の主役「少年A(酒鬼薔薇)」を「裁いた」裁判官である。
 井垣判事はこの少年を自分で裁いた。まだ当時は14歳の少年を検察に逆送して刑事事件として処理する法的制度はなかった。

 内容については、期待した以上のものだった。井垣判事は非行少年に「甘い」というイメージがあるが(少年Aもふくめて)どうもそうでもはない。彼は「相手を人間と思う」だけであって「甘く」はない。
 ただ彼は毛利甚八氏も「裁判官のかたち」の中で言っていたが(井垣判事もインタヴューで登場する)井垣判事は「働き者」なのだ。

 ただ、井垣判事は自分のあり方、人間としての弱さに率直な人なのだな、と感じた。そして、それは他者もそうであると考えておられるようだ。こういう人に裁かれるほうが、どれだけ厳しい罰を貰っても、無罪微罪でもモノのように処理されるよりはいいだろうなと思う。

 ただ彼には無名の手紙が来た。
 「・・・A少年を野放しにして、又凶行が起こったら、アナタは井垣さんはどう責任をとるつもりですか。…A少年の居住する地域に孫を連れて移り住んでください」
 かれは「残念である。相応の責任を取る覚悟。」と言ってこの手紙に何も反論しない。
 私はそれでいいと思う。裁く者を裁いてみたところで罪が消えようか。あまりに酷いことが起きてしまえば実は対応法などないのだ。だが、世間はそれを許さないだろう。
 酷いことは恐ろしいから。

 彼は私たちよりも「少し」罪を犯す者について分りすぎている。
 そしてそう言う人が刑事司法には必要だ。
 そんな感想を持った。

 彼は今、大阪で弁護士をされている。

少年裁判官ノオト

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裁判官のかたち

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