幕末の宮廷

 幕末に実際、朝廷で官人をしていた下橋敬長氏の口述をまとめた本。
 絶版です。古本屋にもさっぱりありません。あきらめて図書館で借りました。
 
 面白い本です。ある意味で生き証人の口述ですので、生資料に準じるとも言えるでしょう。学者もこの本を引用して当時の宮廷の様子を書いています。
 ご本人が官人だったので官人、諸大夫・青侍についてやや厚いです。ただ、博学な方だったので、主上天皇)から摂関・清華をはじめとする公卿、女官や幕府から来ている武士(御付武士)の様子なども詳しいです。
 摂関・大臣等という方々がいかに宮廷で大きい勢いだったかが分ります。諸大夫が灯明を取りこぼし大臣に油をかけてしまい、平伏して「申し訳ありません」とお詫びしたら、「賤しいもののくせに、大臣に声をかけた」と言う咎で仕事を辞めさせられた(しくじりそのものは懇ろにあとでわびに行けば済むことだったが、声をかけたことがいけなかった)というのには驚いてしまいました。
 御付武士はやはり幕府の威光を背負っていたので官位は低くても摂政や親王とおなじ「2汁3菜」の立派なお膳を昼ご飯に上がっていたそうです。そして用事ができると大納言などが勤めている「武家伝奏」を決して自分からは出向かず呼びつけて用事を済ましていたそうです。下橋氏によれば「なかなか偉い了見」とのことです。
 あと、御所の食べ物についても詳しい記述があり、主上が眺めるだけの「おあさ」という餅がなぜできたのかの故実が語られています。「おあさ」は食べてみるとおいしいそうです(塩餡なので砂糖をかけると良いらしい)。まさに体験した者しか言えない事実です。
 身分というものがいかにうるさいか、各家がその身分を乗り越えて官位につくときは養子をしたり例を引いたりして四苦八苦して硬直した身分制度を運用しているかも分ります。

 朝廷は、幕府を滅ぼす旗頭として利用され、「政府」と姿を変えました。なんの政治的な力もないようで、「日本文化」と称するものの中核を担ってきたこともまた事実でしょう。
 下橋氏自身も、博学強記にして優れた文人でしたが、明治維新後は身分の低い官吏に甘んじました。出世は京人には縁がなく、みな藩閥のものだったのです。
 でも、大名だって、武士だって、豪商、ただの町人だって、みんな貧しく弱い朝廷をすこし蔑ろにしながらもある意味で、主上と公卿殿上人方が羨ましくてしょうがなかったようです。大名は高い官位を望みましたし、大赤字の朝廷財政は幕府や大名の「お手伝い」で成り立っていました。町人たちも七位の低い官位をもらって大喜びして菊の紋の入った高針提灯を掲げていたそうです。装束を着るときは下橋氏によれば「うれしうてならぬ」とのこと。

 「御所はゆっくりとしております」(下橋氏談)

幕末の宮廷 (東洋文庫 353)

幕末の宮廷 (東洋文庫 353)