新訳 星の王子さま

 心を動かす度合いが強すぎると、却って感想が書けないことがあります。
 その対象を客観視できないほど心を揺り動かされたと言うことでしょう。

 幸いにして、思想書、宗教書やビジネス書でそういう思いをしたことはありません。法律書でももちろん。「いい本だなあー」しみじみと思うことはあっても、視点は客観的です。某刑事法学の大家は「今や○○説は私そのものである」などと言うあまり法律家らしくない事もおっしゃいますが、これはきっと法律を極めた(もしくは勉強しすぎた)から言えることであって、容易にその境地に近づけますまい。
 
 さて、心を動かしたその本、それは
 「星の王子様」の新訳です。内藤訳から倉橋由美子の訳になっていたので、「なるほど、目の付け所の良い訳者選びだよなあ…」と思いながら、財布の金は諸々の浪費で乏しいのについ買ってしまったのです。

 …これは。
 きめ細かで、分りやすく、かつ幻想的。
 内藤訳を超えると言えるかどうか難しいにしても、これは強烈な仕上がりだと思いました。

 でも、感想ですが、書きにくいんです。
 訳者は後書きで「読んで泣くような使い方は外れている」みたいなことを書いているのですが、不覚にも泣きました。悲しいんです。別れの場面が。悲しいんです。自分にとって薔薇がなにか分る瞬間が。
 そして悲しいんです。
 酒を飲むのが恥ずかしくて、恥ずかしいから酒を飲む酔っぱらいが。

 イラストは前の通りです。サン・テグジュペリ御大自筆。彩色は岩波の新版とよく似ています。

 本は実生活に役立つ度合いから考えると、それなりに高く無駄ない買い物だと、新本を買うたびにいつも思います。古本はお得感はありますが、100円50円に値する本すら読む時間や保存スペースを考えれば実はそんなに特ではないです。
 でも、この1500円の文芸書は、「何に役に立つのかはさっぱり分らない」とこういう本を考えてしまう大人でありながら、「さっぱり分らないまま」全く財布の傷みなどどうでも良くなる本です。
 
 いい創作は、分析よりも、情動へと向かうようです。
 でも、言語は情動そのものではないんですね。

新訳 星の王子さま

新訳 星の王子さま

内藤訳の決定版、イラストの新しくなった岩波版です。
星の王子さま―オリジナル版

星の王子さま―オリジナル版

古式ゆかしい岩波版
愛蔵版 星の王子さま

愛蔵版 星の王子さま

はまぞうで調べられるだけでも、他にもいろいろあります。訳者が違うものも幾つかあります。
 「星の王子さま」という題名を日本語訳に置いて不動にしたのは1953年の内藤濯訳です。倉橋由美子もさすがにここは動かしませんでした。一つには宝島社の営業上の都合なのでしょうが、根治の難しい病の中にあった倉橋氏は、別に宝島社の営業のことなど考えるモメントはサラサラ無いので、訳者自身の意志が通底しているはずです。その理由については、訳者は述べていません。ただ、「以後多くの読者に親しまれる本として出版された故内藤濯氏に敬意を表します」とト書きにて記しています。
 「見えないことにこそ意味がある」ので、明示されざる理由のままでいいのでしょう。
 フランス語の現代を直訳すれば「小さな王子」(La Petit Prince)です。
 いずれにせよ、故内藤氏の業績を7月11日第1刷のこの本で称えた倉橋氏は報道の通り2005年6月10日、拡張型心筋症により逝去されました。この本は遺作と言うことになります。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。