オブローモフ主義とは何か

 とっくに絶版の岩波文庫なのですが、2002年度に一括重版したようで(岩波はごくわずかに需要のある「名作」っぽい作品を本格的に絶版する前に一括重版して備えておくことをするようです)大学時代にすでに絶版していてぼろぼろのカバーもない文庫を先輩から貸してもらったままの私はなつかしくてつい買ってしまったのだった(500円もした…)。
 割と老舗の人文系の本のある書店にて購入。このごろ、郊外の大型書店には岩波文庫がないことがままある。新しい企画の文庫や新書にどんどん押されているのだろう。ココにも教養主義の没落のようなものを感ずるのである。

 さて、この「オブローモフ主義とは何か」という作品、ゴンチャロフの「オブローモフ」という作品の書評を通じてドブロリューボフという方が革命論を延々と述べるという香ばしい本です。大学時代に先輩に勧められ(どんな大学だ…)読んでしまい、実に心をいろんな意味で動かされました。多分、ドブロリューボフ先生のお考えとは違う方に。
 このオブローモフというやつ、ひたすらソファーに寝て、理想主義の寝言ばかり言っては、全く行動力の伴わないと言うやつで、貴族に生まれたおかげで生きていける全くの寄生虫みたいなだめ人間なわけです。
 全く要約して言えば、ドブロリューボフ先生は「貴族の話芸」みたいな「社会運動」を痛撃して、実践的な世界に踏み出せ!とアジルためにゴンチャロフの小説の主人公「オブローモフ」を持ち出したわけです。なにしろ、「彼は神に跪くことはないが、一旦跪かされたら、立ち上がることも出来ない」という怠け者ぶりです。人の言うことも聞かないが、聞かされても抵抗することも出来ないようなダメ人間ぶり。
 この本を読むのがサークル内ではやり(どんなサークルだ…)「あいつオブロッてるよ」と言えば、ソファーで死んで行動力を失っている状態を現すことになってしまいました。
 オブローモフはぐちゃぐちゃと自己弁護の言い訳をします。でも、恋人に見捨てられて逃げられたりするわけです。この辺も涙をそそります(本当か?)。
 
 ニートなどという言葉が出来ました。ソファーに寝そべり、やりたいことだけをやる、そして自己弁護をする。不労で人に頼り生きて行く。オブローモフを思わせるものがあります。
 でも、別にニートなひとは大言壮言はしませんし、貴族ってわけでもなく(発展途上国の飢えた人から見れば貴族そのものかも知れませんが)割りと将来の不安も現実的です。
 でも、オブローモフも、「革命の不安」に揺れていました。

 「オブローモフ主義で行こう!」さすがにそうは言えません。そして誰も分ってくれない。
 この本はすっかり過去の本のような気がします。でも、妙な既視感も感じるのです。90年代というこの本をはじめて読んだ学生時代もそうですし、今もそうなのです。

 お奨めできるかと言えば、一括重版して葬られる運命の本ですからできないのですが(もう買えない可能性もある)、こういう本にしか書かれていないことが今の時代というものにもある、と言う事だけは言っておきたいです。

オブローモフ主義とは何か?―他一編 (岩波文庫 赤 610-1)

オブローモフ主義とは何か?―他一編 (岩波文庫 赤 610-1)

小説「オブローモフ」も岩波から出ています

オブローモフ〈下〉 (岩波文庫 赤 606-4)

オブローモフ〈下〉 (岩波文庫 赤 606-4)