イワンのばか
何故かトルストイのこの子ども向け(と言うより彼の頭の中では民衆「啓蒙」用)民話を読みふけってしまった。
私は高校生の頃から愛読しているのですが、大学生の頃に、「光ある内に光の中を歩め」特に強く影響を受けました。キリスト教の信仰を受け入れようか真剣に悩んだくらいです。でも、俗物かつ唯物論的であった私には(べつに「唯物論者が俗物」という意味ではなく、私が「俗物で」かつ「唯物論『的』」と言いたいだけです。)『徴無き』絶対の神を「信じる」には至りませんでした。
ただ、神を人間が求める「気持ち」には大学来興味が尽きることはありません。別に揶揄的なものではなく、その「深刻さ」についても。
さて、トルストイはクロイツエル・ソナタや悪魔などで人間の官能についてもその暗黒面も含めて積極的に色彩豊かかつドラマティックに描く作家で、しかし、総括としては性的な煩悶を罪と捉えて強く『乱倫の末路』を断罪します。
民話集においてはそう言う眉をひそめるような『暗さ』はなく、おおらかな大ロシア人の愚行とおとぼけを軸にしながら、トルストイ一流の無政府主義的な平等主義を展開するという一種の「説教本」です。
中でもイワンの馬鹿は一番の傑作です。子どもにも一番親しまれていると思います。
理由は?
とにかく「イワンが馬鹿」だからとしか言いようがありません。
イワンの馬鹿さはとにかく「物に拘らない」「自分が知り覚えた労働だけに拘る」「人を無限に許す」と言う普通の人間には絶対にない(特に日本人には見いだしがたい)滑稽なまでの他人への無関心があります。ロシア人が本当にこういう「おおらかな」人間性を基底としているかは一考の余地がありますが、トルストイが自らも属した貴族階層の「おおらかでない」部分にこそ非常に厳しい罪悪感と断罪の意思を持ったことから見てもロシア人のあり方の理想としてイワンの馬鹿さ加減は非常に訴求力のあるものであった事は確かでしょう。
イワンは馬鹿でありながら、労働と無垢の力で悪魔に打ち勝ち、奇跡を呼び、王となり、幾多の『困難』をするりとすり抜け、ついには悪魔の親分すら打ち倒して「手にこぶのない物は残り物を食べる」「馬鹿しか居ない」理想の王国をつくります。つまり、これがトルストイにとっての理想の王国でもあるのでしょう。
トルストイが否定した貴族主義の教養的装いや知識人の小知恵、そして資本主義的な「狡知」は未だに馬鹿の上に君臨しています。その勢いは大いに盛んで、馬鹿でいれば収奪されるだけです。残念ながらそれが現実でしょう。
「馬鹿」でありながら、奇跡や理想の王国に頼らず「馬鹿の楽園」を馬鹿自身の力で作り上げる日々を人類は迎えることができるのでしょうか。
トルストイの倫理主義的糾弾は以下にも古くさいですが、心に不思議な訴求力を持つのはやはり、ある種の人間が「馬鹿の楽園=イワン王国」を求めている証左なのでありましょうか。
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中村白葉先生は罪と罰などの大著も含めてたくさん訳業のある大家です。
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