セックスの邪魔をするやっかいな記憶たち

 おひさしぶりの書き込みです。
 非常に動揺する日々に、読みたい本、薦められて面白そうな本、何となく買ってきた本、いや、せっぱ詰まって読まなければならない(単に読むだけでなくTT)とか様々な本たちが机、枕元、本棚、パソコンのそばなどにいるわけですが、たまたま読み終えた本がこの啓蒙心理本「セックスの邪魔をするやっかいな記憶たち」と言う、題名のセンスはいいが長すぎて営業が難しい(であろう)訳本でした。
 白揚社で著者はジョゼフ・グレンマン、ハーバード学生センターに勤めつつ開業する精神力動系の精神科医とのこと。訳者は鈴木圭子・吉田斉の両氏。
 本を手に入れたきっかけは、友人がくれたことです。引っ越しで要らなくなったとのこと。貰ったのはもう何年も前になるのですが、今になって何となく読み始めてしまい、最後まで一気に読み終えました。
 この手の治療ドキュメンタリーじみた本は治療の場面を劇的に描きすぎたり、カタルシスが激しすぎたりしてわざとらしかったりするのですが、治療者は、患者がかなりテンパッているのに、冷静に治療目標を探り当てている(まあ後から書いているから当然なのでしょうが)様が結構おもしろかったです。特に「性的転移」(治療者に対して、患者が性的な好意を持つこと)の問題をどうセラピストが処理するかが明快で、胸をすく感じがしました。
 自殺を試みたら治療は終了、とか治療契約の常識を乗り越えて、患者に寄り添い続け、また訳者によれば「お金を長い時間払わせ続けるだけの魅力」を治療に持たせる技量に心理学者の訳者は感服したといっています。
 この手の本のブームは一通り去った感じがしますが、いい著者がしっかりと書いた本は、面白く読めるものだと改めて感じました。
 なお、精神力動的な背景が原著者にはありますのでフロイト的な「投影」とか「転移」とか「治療同盟」とかおなじみの言葉が出てきます。事例の中の女性に「メラニー」と言う女性がいたのは、何だかわざとかと思ってしまいました。わざわざこんな仮名をつけた理由はなんだろう??

セックスの邪魔をするやっかいな記憶たち

セックスの邪魔をするやっかいな記憶たち